梅毒を追え(1)

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その1:梅毒の特殊性を理解するために

まずは、「ふつう(定型細菌)ってなんだろう?」
「ふつうの淋菌」と「ふつうじゃないクラミジア」から考える


犯人捜査の方法は

いきなりですが、感染症医の仕事を、「残留する証拠をかき集め犯人を追い詰める、刑事モノか科捜研モノ」だと思ってください。

一般的な細菌感染症では、まず「事件(肺炎や腎盂腎炎)」があり、そして現場では、「犯人(細菌)」も顕微鏡などで確認できることが多いです。
つまり、現行犯逮捕が可能なことが多いのです。

しかし、梅毒はいろいろと特殊な細菌で、顕微鏡でもその姿を捕捉することは困難です。
(特殊な方法でなら可能ですが、今は外来ではほとんど行われていません)

つまり、現行犯逮捕が可能な普通の細菌とは、採るべき戦略が異なるのです。

また、コロナ禍で知られるようになったPCRも、梅毒ではいろいろ問題があって出番は限定的といわれています。

現場で姿を確認できず、DNA捜査も難しい梅毒・・・。

さて、どうやって梅毒という犯人を追い詰めるのか、ぜひ、刑事か科学捜査研究所職員になったつもりで読んでみてください。

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その前に、梅毒の紹介をしましょう。

梅毒トレポネーマの基本スペック

梅毒トレポネーマの電子顕微鏡像(ネガティブ染色)
情報元:国立感染症研究所

学名:梅毒トレポネーマ( Treponema pallidum )


【能力 Skills】 
1.ステルス機能 (Stealth←専門用語ではないです
余計な目印を持たないことで免疫から逃れ、強い感染力を持つ。
免疫回避(エスケープ)能力の高さを生かして、全身を駆け巡り長期間(年単位)潜伏する。
免疫ができないので再感染もありうる。


2.培養困難 (Unculturable)
自己増殖に必要な機能もかなり捨てており、今のところ、試験管内で培養することができない。(栄養をあげただけでは増殖しない)
このことが研究も困難にしている。
研究室レベルでは、うさぎの睾丸でのみ培養可能。


3.防御困難 (Risky touch)
感染1年未満の人と性行為をしたときに一度の性行為で感染する確率は約30%といわれる。
特にリスクが高いのは、梅毒トレポネーマが表面にたくさんいる皮膚・粘膜の病変があるとき。

具体的には、1期の潰瘍かいよう病変= 硬性下疳こうせいげかん、2期の 粘膜疹ねんまくしん 扁平へんぺいコンジローマ( 尖圭せんけいコンジローマとはまったく別のもの)など。
皮膚・粘膜病変との接触により、皮膚・粘膜の小さなキズから感染する。
口唇、口腔内に病変があると、特にキスやオーラルセックスでも感染する可能性あり。

しかも、梅毒の病変は痛くないことも多いので、症状があることに気づかずにうつし合ってしまっていることも多い。
つまり、コンドームの有効性は高いが、それだけでは防ぎきれない可能性が高い。

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情報元:一般社団法人 日本感染症学会>


4.視認困難 (Invisible)
ルーチンで行われることの多いグラム染色という方法があり、染めることができれば光学顕微鏡で見ることができるが、梅毒はグラム染色で染まらない。
※墨やインクでは染めることが可能だが、いまはほとんど実施されない。

5.偽装の達人(The great imitator )←これは医学の世界でも本当にそう呼ばれている。
症状が多彩でほかの疾患と区別が難しいため、「ほかの病気に偽装するから注意しろ」という意味のあだ名。

【弱点】酸素やペニシリン系抗生剤に弱い。
梅毒にはペニシリン系に対する耐性菌はほぼいない。
死に至る病なのは江戸時代のイメージであり、ほぼ治る性感染症ではある。

宿主同士の直接的な接触である性行為でしか感染できないということは、環境変化に弱く宿主(人間)の体の中でないと生存が難しいからである。これは性感染症の多くの病原体に共通する秘密。 
※性行為以外で感染できる強さがあったら別のジャンルで認識されることが多い。

たとえば、飛沫感染するものはすべてキスでうつるが、性行為感染症とは呼ばれないことがふつうである。

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一般細菌とウイルスの大きな違い

一般細菌の話が出てきたので、ウイルスとの違いを簡単に紹介します。

・一般細菌は基本的には自分の力で栄養を作り、自力で増殖します。栄養さえあれば、試験管内やシャーレで培養できます。
・ウイルスは自分の力で栄養も作れないし、増殖もできません。試験管内では培養できません。


ウイルスは侵入した細胞の中で細胞の設備を借りて増殖を行います。
なんと、省エネすぎて生物の定義にあてはまらない、という議論もあるほどです。
※そのせいで、ウイルスを培養するときは特定の生きた細胞が必要なのです。
例:インフルエンザウイルスは鶏の有精卵(生きている細胞)で培養される。

情報元:国立科学博物館>

ところが!
細菌なのに、まるでウイルスのように、細胞の中で宿主細胞に依存して複製・増殖を行う省エネ細菌がいるのです。
そのまんまですが、細胞内寄生細菌と呼ばれます。
クラミジアや一部のマイコプラズマなどがそうです。

これらはグラム染色で染まらないので、非定型細菌と呼ばれるようになりました。 (グラム染色で染まる一般細菌を定型と考えているわけです)

参考: 細菌性肺炎と非定型肺炎
※その歴史についても詳しい記事
↑非定型肺炎という言葉の定義の変遷も書かれています。


【さて、今回の主役の梅毒は】

構造的には定型細菌に近いものの、グラム染色で染まらず超省エネタイプ。
そのキャラクターは、非定型細菌やウイルスに似ています。

ちなみに、性病検査の項目にある「一般細菌」とはなんでしょう。
※一般細菌:標準寒天培地を用いて36±1℃で24±2時間で培養したとき、培地に集落(コロニー)を形成する細菌のことをいいます。
分類学的に特定のグループを意味するものではありません。
性感染症の原因となる細菌は、培養できないか、培養に何日もかかるものが多いです。


見えないことも状況証拠になりうる!

さて、4の視認困難に関わることですが、光学顕微鏡で容疑者が見当たらないとき、まずは以下の2つを考えます。


ウイルス:小さすぎて電子顕微鏡でなければ見えない。
非定型細菌:細菌の一般的な染色法(グラム染色)で染まらないため、ルーチンの顕微鏡検査ではその姿を確認することができない。


多くの細菌はグラム染色という方法で紫(グラム陽性菌)赤(グラム陰性菌)に染まります。(痰や尿などの体液をとってきて染めます)
※白血球の核や細胞質もピンクに染まっています。

情報元:独立医療法人 国立病院機構 浜田医療センター>

グラム染色で染まる細菌が多いので、彼らを「ふつうの細菌(定型細菌)」と思ってください。
細菌は無色透明で小さいので、染まらないものは確認できません。
そして、ルーチンのグラム染色で染まらない菌を非定型細菌と呼びます。

ところで、やっかいなことに、性感染症の細菌にはグラム染色で染まらない菌が多いのです。
クラミジア、マイコプラズマ、ウレアプラズマは非定型細菌です。そして、梅毒トレポネーマも、グラム染色によく染まらないため、「グラム不定菌」と呼ばれます。

しかし、この段落の冒頭で述べたように、顕微鏡で見えないことも重要な状況証拠となるのです。

見える、見えないだけで容疑が絞れる代表例が淋菌とクラミジア


尿道炎、見える淋菌と見えないクラミジア

現在、尿道炎の診断は、遺伝子を検出する検査であるPCR法やTMA法などによって行われることが多いです。

これらの検査は、淋菌、クラミジア、マイコプラズマ、ウレアプラズマ、トリコモナスなどのDNAや、細菌内の構造物であるミトコンドリア内のDNAを検出しています。

しかし、昔ながらの方法としては、尿道から分泌されている膿(主に、細菌などを食べた白血球の死骸)を取ってきてグラム染色していました。

顕微鏡で確認して、赤色に染まる(グラム陰性) 2個並んだ丸い菌がいれば淋菌性尿道炎(淋病)として治療していたのです(実際にはクラミジアの同時感染を考慮し両方の治療)。

そして、菌が見えなければ非淋菌性尿道炎、つまり顕微鏡で確認できないクラミジア性尿道炎などとして治療をする、というのが尿道炎の対応でした。


貪食どんしょく(=食べること)されて左の白血球さんの中にいる淋菌の様子がよく分かります。

情報元:国立感染症研究所>

しかも淋病の膿の採取方法が昔はかなり痛かったらしいです。
今では行いませんが、綿棒を尿道の中に入れて採取するという方法だったそうで、過去に経験して痛かったと話してくださる患者さんもおられます。


【コラム】マイコプラズマ・ジェニタリウムについて 〜非淋菌性には犯人候補が多い~
尿道炎の原因であるマイコプラズマ・ジェニタリウムの研究が進んできたのはここ数十年のことです。
そして、マイコプラズマ・ジェニタリウムに保険が適応されたのは令和4年です。

つまり、性感染症に関わっていなければ、名前を知らない医師もいるような細菌なのです。

しかし幸いなことに、2010年台まではクラミジアもマイコプラズマも同じ抗生剤で治療できていたので、非淋菌性尿道炎として抗生剤を出しておけば、あまり問題となりませんでした。

つまり、治療的には淋菌か非淋菌か、それだけが問題だったのです(淋菌も昔は同じ薬で治せたこともありました)。

ところが、近年、マイコプラズマの多剤耐性菌(いくつもの薬が効かなくなっている菌)が急激に増加し、3、4剤の抗生剤を順に試しても菌が生き残ってしまうことも増えてきました。
性感染症界隈ではこのところマイコプラズマ・ジェニタリウムが大問題となっているのです。

【コラム】クラミジア、マイコプラズマにもいろいろいる
肺炎を起こすクラミジアとマイコプラズマは、性感染症の原因となるものとは別の菌です。
☆肺炎の原因菌
・肺炎クラミジア:Chlamydophila pneumoniae
・肺炎マイコプラズマ: Mycoplasma pneumoniae
 ※Pneumonia(ニューモニア)は肺炎の意味。
 ※正確には肺炎クラミジアの原因菌は3種類。トラコマティスも新生児で肺炎を起こします。

情報元:国立感染症研究所>

☆性感染症の菌
・クラミジア・トラコマティス: Chlamydia trachomatis
・マイコプラズマ・ジェニタリウム: Mycoplasma genitalium
 ※トラコーマはクラミジア結膜炎のこと。genitalは性器のこと。

【参考】
性感染症以外の細菌感染症診断の流れも少し紹介しましょう。
肺炎の患者さんの痰を採取して染色して、顕微鏡で細菌らしいものが見えなかった場合、見えないがゆえに非定型細菌による非定型肺炎(クラミジア、マイコプラズマなどによる肺炎)を疑います。

もちろん、顕微鏡で見えないだけではウイルス性の可能性も残りますし、見えてもウイルスと細菌の混合感染もありえます。
また、定型菌と非定型菌、両方が原因のこともあります。

しかし、高齢者の肺炎などの重症細菌感染症を疑うときの治療では、命に関わってくることもあるわけですから、培養結果がわかるまでは、疑われる細菌すべてをカバーする「広めの薬」をまず選ぶことになります。

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